2、ブルーノ・ホフマンの演奏会
2号機を製作して数年が経った1968年(昭和43年)に、上野の文化会館で来日していたブルーノ・ホフマン(図2)のグラスハープの演奏会が開催されるという情報を聞きつけ、チケットを買って会場に赴いた。
2号機を製作して数年が経った1968年(昭和43年)に、上野の文化会館で来日していたブルーノ・ホフマン(図2)のグラスハープの演奏会が開催されるという情報を聞きつけ、チケットを買って会場に赴いた。
ブルーノ・ホフマン(Bruno Hoffmann、1913–1991)が、当時ドイツ、シュトゥットガルト出身の世界で唯1人のグラスハープ奏者であることは知るよしもなかったが、グラスハープの本格的演奏が生で聞くことが出来るとあっては、見逃すことは出来ない。演奏会は、始め大ホールとの予定だったが、小ホールの会場に変更されていた。グラスハープと言う楽器に馴染みが少なく売れ行きが思わしくなかったためのように思われた。
ホフマンの演奏した曲目は、クラシックなものばかりで馴染みが薄かったのだが、グラスハープとは思えない素早いテクニックと、豊かで透明感のある素晴らしい音色に魅了された。一方、私の興味はホフマンが演奏している楽器本体に向かっていた。遠目だったが、ホフマンのグラスハープは4本足の装飾された長方形の箱の中に竪方向に4個、横方向に数列程のグラスが並べられているように見えた(図3)。この並べ方で、複雑なメロディを演奏するためには、どのような配列になっているのだろうか。そしてそれをどのように演奏しているのだろうか。
図3、ホフマンのグラスハープの長方形配列
3、グラスの平行四辺形配列
1)グラス配列の模索 演奏会から帰っても頭から配列の問題があたまから離れなかった。演奏の際に、どのような並べ方が最も合理的か。ホフマンの配列を頭に浮かべながら、並べ方を模索した結果、1つの並べ方に辿り着いた。
まず、列方向(縦方向)を30度右斜めに傾け、右斜め上に半音(短二度)ずつ上げて4個並べ、続く半音上のグラスを始めのグラスの右横に並べる。こうすると行方向、つまり横方向の隣り合わせのグラスの音程差は長三度の関係、すなわち始めの音がドならその右の音はミということになる。ホフマンと違うところは、ホフマンが長方形にグラスを配置しているのに対して、この方式では平行四辺形に配置していることである。こうすると、隣り合わせの3つのグラスは正三角形を形成する。この配列を、とりあえず平行四辺形配列、または佐々木式配列、と呼ぶことにする(図4)。
まず、列方向(縦方向)を30度右斜めに傾け、右斜め上に半音(短二度)ずつ上げて4個並べ、続く半音上のグラスを始めのグラスの右横に並べる。こうすると行方向、つまり横方向の隣り合わせのグラスの音程差は長三度の関係、すなわち始めの音がドならその右の音はミということになる。ホフマンと違うところは、ホフマンが長方形にグラスを配置しているのに対して、この方式では平行四辺形に配置していることである。こうすると、隣り合わせの3つのグラスは正三角形を形成する。この配列を、とりあえず平行四辺形配列、または佐々木式配列、と呼ぶことにする(図4)。
2)平行四辺形配列の特徴と利点 平行四辺形配列において、ドレミファの音階をなぞってみると、6角形の亀の子状のパターンが繰り返し現れることがわかる(図4の上)。演奏の際にはこのパターン(スケール・パターンと呼ぶことにする)を念頭に置き、これに沿って指を運ぶことでメロディを奏でることができる。キーが変わってもスケール・パターンは変わらず、平行移動するだけなので大変分かりやすい。こうした繰り返しパターンは、音階が、1オクターブ12音で構成されるために現れるもので、当然と言えば当然の結果である。
また和音も、への字型の長三和音(メジャー・コード)、への字の裏返しの短三和音(マイナー・コード)や、横一列の増三和音(オーギュメント・コード)、斜め一列の減三和音(ディミニッシュ・コード)も、それぞれを3本の指で容易に演奏でき、さらに指を右手、左手2本づつ計4本を使って長三、短三の二つの属七和音(メイジャー&マイナー・セブンス・コード)の演奏も可能である(図5の下)。
実際に試作して演奏を試した結果、この配列に利点が多いことが明確になった。
4、グラスハープ3号機の製作
木製の1枚板をベースにグラスの高さに合わせて板を重ねて3段とした。それぞれの段にグラスのプレート(グラスを支える円形の台)に合わせた丸い孔を空けた薄板を貼り、さらにその上に人工皮革で覆った。覆った人工皮革は、グラスの位置の中心に穴を空け、それに向かって切り込みを入れ、プレートを滑り込ませるようにした。また、人前で演奏することを想定して、全体を白い布で覆った。
こうして完成したのが、平行四辺形配列のグラスハープ、佐々木作グラスハープ3号機である。同機は、低音部、中音部、音部の3種、4行5列の合わせて20個のグラスを備え、1オクターブ半超え、下の「ソ(G)」から上の「レ(A)」までをカバーした。
3号機は、1972年(昭和47年)9月の妹と中学時代の親友K君の結婚式(図6)や同時期に結婚した大学サークル天文部仲間のT君(名古屋在住)の結婚式などで披露した。
その後、大学院、母校の助手を経て国立科学博物館の研究官の職に就いた。業務は、博物館資料の調査・研究が中心となってグラスハープに対する関心も薄れ、長期にわたって中段することになってしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿