図7、グラスハープのハンマーダルシマのコラボ・コンサート:
2002年12月14日、国立科学博物館本館2階講堂にて。自作したハンマーダルシマを演奏する前嶋氏(右)とグラスハープ4号機を演奏する佐々木本人(左)。
5、グラスハープ復活の契機
その後国立科学博物館に職を得て、30数年があっという間に過ぎた。博物館での仕事は、科学技術に関する歴史的資料の収集と調査研究で、時計資料、特に江戸時代に製作された機械時計「和時計」が私の所掌する分野だった。もともと大学の専門が物理学だったので、グラスハープは原理的に大変興味のあるテーマで取り組みたい気持ちはあったが、博物館の調査研究他の業務で忙しく、ずっとそのままになっていた。 2001年秋か2002年の春頃、私は同僚の前嶋正裕氏と音楽談義に花が咲いていた。彼は、ハンマーダルシマという楽器を製作して演奏の練習重ねているところであった。彼は、当時上野公園でダルシマのストリート・パフォーマンスを行っていたアメリカ人のハンマーダルシマ奏者、デーブ・ニーマン氏に直談判し、中野でニーマン氏が開いていたダルシマの教室の生徒となった。そして現在、借り物のハンマーダルシマに飽き足らず、いろいろ研究を重ねて楽器の自作に取り組んでいるのだという。
会話があれこれとはずむ内に理工学研究部が毎年実施している科学博物館理工講座でテーマとして取り上げようではないかと言うことになった。かつて結婚式などで演奏したグラスハープは、押し入れの段ボールの中でまだ捨てずに埃を被って眠っていた。グラスもまだ割れずに数個残っていたが、今回は音域を大幅に拡大しグラスも新たに揃えてグラスハープを製作し、理工講座に望むことにしたのだ。
その後国立科学博物館に職を得て、30数年があっという間に過ぎた。博物館での仕事は、科学技術に関する歴史的資料の収集と調査研究で、時計資料、特に江戸時代に製作された機械時計「和時計」が私の所掌する分野だった。もともと大学の専門が物理学だったので、グラスハープは原理的に大変興味のあるテーマで取り組みたい気持ちはあったが、博物館の調査研究他の業務で忙しく、ずっとそのままになっていた。 2001年秋か2002年の春頃、私は同僚の前嶋正裕氏と音楽談義に花が咲いていた。彼は、ハンマーダルシマという楽器を製作して演奏の練習重ねているところであった。彼は、当時上野公園でダルシマのストリート・パフォーマンスを行っていたアメリカ人のハンマーダルシマ奏者、デーブ・ニーマン氏に直談判し、中野でニーマン氏が開いていたダルシマの教室の生徒となった。そして現在、借り物のハンマーダルシマに飽き足らず、いろいろ研究を重ねて楽器の自作に取り組んでいるのだという。
会話があれこれとはずむ内に理工学研究部が毎年実施している科学博物館理工講座でテーマとして取り上げようではないかと言うことになった。かつて結婚式などで演奏したグラスハープは、押し入れの段ボールの中でまだ捨てずに埃を被って眠っていた。グラスもまだ割れずに数個残っていたが、今回は音域を大幅に拡大しグラスも新たに揃えてグラスハープを製作し、理工講座に望むことにしたのだ。
6、グラスハープ4号機の製作
こうしてグラスハープの製作が始まった。音域は3号機の約1オクターブ半、4行5列(グラス20個)から大幅に広げ、2オクターブ半、4行7列(グラス30個)を目標とした。使えそうなグラスは、食器専門店を始め、デパート、グラス専門製造会社(東洋佐々木硝子)の工場セール、100円ショップなど様々な場所で買い求めた。
こうしてグラスハープの製作が始まった。音域は3号機の約1オクターブ半、4行5列(グラス20個)から大幅に広げ、2オクターブ半、4行7列(グラス30個)を目標とした。使えそうなグラスは、食器専門店を始め、デパート、グラス専門製造会社(東洋佐々木硝子)の工場セール、100円ショップなど様々な場所で買い求めた。
グラスハープ製作でどうしても避けられない課題が、グラスの固定方法をどうするかである。グラスハープの演奏の都合上、直接口を付けるグラスの縁部、リム(rim)部を同一平面に揃えたいところだが、市販のグラスは高さがまちまちである。グラスの丸い台の部分、プレート(plate)またはフット(foot)の下に高さ調節用のスペーサーを置いて合わせる方法も考えたが、私はもっと大胆な方法を採用した。グラスの底の円形の台座の部分を切り落として支柱、ステム(stem)のみとし、適当なスペ―ザーで高さを調節することにした。ちなみにワインやブランデーを入れる器の部分はボウル(bowl)と呼ばれる(図8)。
あるとき、近くのホームセンターで木質の工作材料のコーナーで、太さ4cm、内径2cm程の木製のパイプが目に止まった。そのとき「これは使えそうだ!」と頭にひらめくものがあった。
パイプの口にコルクをはめ込んで穴を開け、ここにプレートを切り落としたグラスのステム部を差し込む方法を検討した。高さの調節はパイプを切って長さを調節することにした(図9)。
パイプの口にコルクをはめ込んで穴を開け、ここにプレートを切り落としたグラスのステム部を差し込む方法を検討した。高さの調節はパイプを切って長さを調節することにした(図9)。
配列は3号機で採用した平行四辺形配列とし、用意できた27個のグラスで、2オクターブ超えの4行約7列のグラスハープを計画した。グラスは、台となる幅80cm、奥行き45cm程の桐の板材の上に、まず互いに少し余裕を持って接触しないようにグラスを伏せて並べ、リムをフェルトペンでなぞってグラスの配置を決めた。コルクは洋食のレストランなどで用済みのコルク栓を分けて貰い、これを高さを合わせたパイプに押し込み、ドリルで穴を空けてプレートを切り落としたステムを差し込んで固定した。パイプは板材に木ねじで固定した。こうして出来上がったのがグラスハープ4号機(音域:下の「ソ」から上の「ラ」までの27音)である(図10、図11)。完成は2001年の秋も深まった頃であった。
上から、リム(器の縁、演奏行う部分)、ボウル(ワインなどを入れる器)、ステム(支柱)、プレートまたはフット(台座の円盤)
図11、完成した平行四辺形配列のグラスハープ4号機
図12、自宅で行った演奏会リハーサルでのグラスハープ4号機とハンマーダルシマ
7、グラスハープ4号機での演奏の機会
こうして完成したグラスハープ4号機で少しづつ練習を重ねた。演奏の機会は、まず2002年12月14日に同僚の前嶋氏と行った国立科学博物館理工講座「失われた楽器、ハンマーダルシマとグラスハープ」で初めて披露した(図7、図12)。理工教室で使用した際には、グラスを固定した板は白で塗装し、これを同じく自作の木製4脚の台に載せた。妻のアイデアで台はえんじ色の布で覆い、グラスハープ本体は同じく妻によるモールで縁取りしたえんじ色の飾り帯(フリル)を取り付けた。クリスマスも近いこともあって、金銀のモールで装飾して雰囲気を演出した(図13)。
こうして完成したグラスハープ4号機で少しづつ練習を重ねた。演奏の機会は、まず2002年12月14日に同僚の前嶋氏と行った国立科学博物館理工講座「失われた楽器、ハンマーダルシマとグラスハープ」で初めて披露した(図7、図12)。理工教室で使用した際には、グラスを固定した板は白で塗装し、これを同じく自作の木製4脚の台に載せた。妻のアイデアで台はえんじ色の布で覆い、グラスハープ本体は同じく妻によるモールで縁取りしたえんじ色の飾り帯(フリル)を取り付けた。クリスマスも近いこともあって、金銀のモールで装飾して雰囲気を演出した(図13)。
続いて2008年9月15日には、ちょうど国立科学博物館で開かれていた国際サイエンス・コミュニケーション大会の交流パーティでも演奏を披露した。オーストラリアから出席されれていたキャンベラの科学館ケスタコンの館長でサイエンスショーのエキスパートでもあるマイケル・ゴア氏は平行四辺形配列グラスハープに大変関心を持たれたようだった(図14)。さらに1ヶ月余り後の12月16日には、国立科学博物館理工講座でグラスハープをテーマに解説と演奏を行ったが、これは翌2006年に科学博物館定年退職を控えた私の最終講演(演奏)となった(図15)。
少し間を置いて、2008年10月02~06日に北京のソニー科学館から要請があって、サイエンスショーとして演奏・講演を行い、併せて同館の学芸員にグラスハープの解説・指導を行った。その際、出発前に製作した8音1オクターブのグラスハープを同館に寄贈した(図16)。
図13、コンサートで使用したグラスハープ:
板は白で塗装、妻のアイデアで全体をえんじ色の布で覆い、モールで縁取りした同色の飾り帯を取り付けた。さらにクリスマスも近いこともあって、金銀のモールやメリークリスマスの金文字で装飾して雰囲気を演出した。(2002年12月14日)
図14、国際サイエンス・コミュニケーション大会のパーティ:
国立科学博物館新館中2階レストランにて(2008年9月15日)
8、結婚式でのグラスハープ演奏
結婚式としては、1972年に行った私の妹と中学時代の親友との結婚パーティが最初だが、その他大学のサークル後輩T氏の結婚パーティ(時期不明、T君は名古屋在住だったが、ちょうど父が名古屋の転勤だったので好都合だった)、2005年の10月29日の中学時代の親友K氏の結婚パーティ(図17)だけでなく、2008年9月15日には我が娘の結婚式(図18)でもグラスハープを披露した。概して好評で、グラスハープの透明感のある美しい音色は、結婚式の雰囲気を盛り上げるのに十分なアトラクションだったのではないかと自負している。
結婚式としては、1972年に行った私の妹と中学時代の親友との結婚パーティが最初だが、その他大学のサークル後輩T氏の結婚パーティ(時期不明、T君は名古屋在住だったが、ちょうど父が名古屋の転勤だったので好都合だった)、2005年の10月29日の中学時代の親友K氏の結婚パーティ(図17)だけでなく、2008年9月15日には我が娘の結婚式(図18)でもグラスハープを披露した。概して好評で、グラスハープの透明感のある美しい音色は、結婚式の雰囲気を盛り上げるのに十分なアトラクションだったのではないかと自負している。
図17、中学時代の親友K氏の結婚パーティ(2005年の10月29日実施)
図18、娘の結婚式でもグラスハープを披露(2008年9月15日)
(続)
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