1、グラスハープ事はじめ
私がこの不思議で、例えようもなく柔らかく美しい音色の楽器のことを知ったのは、高校3年(18才)も終わりに近い1960年の春のことだった。
私がこの不思議で、例えようもなく柔らかく美しい音色の楽器のことを知ったのは、高校3年(18才)も終わりに近い1960年の春のことだった。
学校から帰宅して何気なくスイッチを入れたテレビの番組に強く惹きつけられた。番組は、教育テレビで放映されていたもので「楽器の歴史」か何かの内容ではなかったか。60数年前のおぼろげな記憶でしかないが、グラスを擦ると美しい音が出ること、そしてそれを利用したグラスハープなる楽器があること、ボール状のガラスの器を串刺しにして電動や足踏みで回転させて演奏するグラス楽器(これは後でグラスハーモニカまたはグラスアルモニカであることを知ることになるのだが)、そしてその発展形としてのアプライトピアノ型のアルモニカなど、興味深い楽器が演奏付で次々と紹介された。 家にグラスはあったか、それで早速試したかどうかの記憶は無い。ただ、どうしても自分で試して見たい気持ちが膨らんで、番組が終わるや否や近くの商店街の食器屋へ走って、持ち合わせたその月の小遣い千数百円を全てはたいて数個のグラスを購入した。
家に帰ってグラスの音程を調べ、各音階に割り当てた。もちろんチューナーなどの武器はないのであくまでも耳が頼りである。家にピアノがあり、妹たちも、私自身も弾いていたので、絶対音感はともかく相対音感はほぼ完全に掴んでいた。グラスをドからラまでの6音に割り当て、水を加減して音程を調整し、各音階に割り当てた。次に、適当な長さの板を用意して、グラスの台の円盤のまわりに釘を3本打ち、輪ゴムを釘にかけてグラスを固定した。これが私のグラスハープ1号機だった。
6音の音階では自ずと演奏可能な曲が限定される。程なく不足の音程のグラスを追加して1オクターブ半のグラスハープにバージョンアップした。これが私のグラスハープ2号機である。
間もなく大学生となって参加したクラブ活動(天文部)のコンパで、アトラクションとして披露したのが人前で演奏した最初であった。曲は、多分だが「峠のわが家」だった。
家に帰ってグラスの音程を調べ、各音階に割り当てた。もちろんチューナーなどの武器はないのであくまでも耳が頼りである。家にピアノがあり、妹たちも、私自身も弾いていたので、絶対音感はともかく相対音感はほぼ完全に掴んでいた。グラスをドからラまでの6音に割り当て、水を加減して音程を調整し、各音階に割り当てた。次に、適当な長さの板を用意して、グラスの台の円盤のまわりに釘を3本打ち、輪ゴムを釘にかけてグラスを固定した。これが私のグラスハープ1号機だった。
6音の音階では自ずと演奏可能な曲が限定される。程なく不足の音程のグラスを追加して1オクターブ半のグラスハープにバージョンアップした。これが私のグラスハープ2号機である。
間もなく大学生となって参加したクラブ活動(天文部)のコンパで、アトラクションとして披露したのが人前で演奏した最初であった。曲は、多分だが「峠のわが家」だった。
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